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東村山市のミニコミ紙「暮らしの新聞」WEB版サイト

平和の数をー

-暮らしの新聞-2015年5月1日号・第3面 ~俳句随想~(52) 整体師 出田邦博

○田も畦も道も山辺もげんげかな      (原 石鼎)

蓮の花に似ている蓮華草は、田畑や野や山里に紫の雲がわくかのように咲くから「紫雲英」とも呼ばれる。蝶の形をした紅紫の蓮華が一面に広がり、そこここには黄色の菜の花が風に揺れそよぐ。蓮華草は鋤き込まれて肥料にもなり、花を終えた菜種からは油が採れる。化学肥料や機械に依存しなかった頃の田園では、子供が蓮華の小花を摘み蝶を追いかけて遊び廻る。野辺には牛が草をむしり馬が嘶き、青空では雲雀が囀る。いつの間にか失われつつある日本の原風景であり、日本人の心の故郷である。

○若竹や鞭の如くに五六本        (川端茅舎)

竹林に頭を出した筍が、根元から皮を脱ぎながら日を置かずに鮮やかな若竹となって伸びていく。若葉をまだ広げてはいない今年竹の青々とした数本の幹は、励まし合うように一斉に天を目指して撓っている。そのしなやかな勢いは若者に大地に立って背筋を伸ばして進めと、訴えているかのごとくだ。この一幅の画を思わせる作者の兄は、文化勲章を受章した日本画家の川端竜子である。

○うれしいこともかなしいことも草しげる (種田山頭火)

草茂るは夏の季語だが、山頭火の句は自由律で無定型。それだけに気ままに読めて自由に解釈できて楽しい。

「花は愛され惜しまれても散り、草は棄てられ嫌われても生えてくる」(道元)と言われる。愛憎や好悪に関わりなく花は咲き草は茂る。偏見や観念に捉われ大事なものを見失う事がある私は、要注意だ。

○えんどうをむきて平和の数を増す    (前川美智子)

豌豆は淡緑の莢も瑞々しい野菜。初夏の夕刻、母親が豆の皮を剥いている。次々と緑の小さなグリンピースが飛び出す。豆ご飯を待っている子供を思い浮かべて表情も和らぐ。こうして平穏に暮らせるのも、この国が平和だからだ、有り難い、との祈りと感謝が籠った俳句。たかが一句、されど一句だ。

食事の用意をする母親、楽しい食卓を囲む笑顔の家族。そんな家が増えそんな国が多くなる。平和は、政治家が口先で弄(もてあそ)ぶものではなく、身近な庶民の生活の中にあるものではないでしょうか。

―市内廻田町「気功整体」主宰―

あなたの健康を支援します。「気功整体イデタ」tel:042-395-5452

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