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絶望を越えた“だるま娘”

-暮らしの新聞-2010年4月1日号・第3面 ~短歌随想~(52) 整体師 出田邦博

○自らの不遇受け容いれ魂を 見つめ温め生き抜きし人

 両手両足がない見世物芸人〝だるま娘〞として、二十六年間も送った女性がいた。『大宇宙に 四肢無き身がいだかれて生かされている―ああこの歓喜 この幸福を「魂」を持っておられる誰もが共に見出してほしい』と詩に詠み、『人間は―肉体はどうあろうとも肉体を超えた魂を見つめ、魂を温めてゆくことのできる人間は、至上の幸福者と思います。病は、恩師なり―』と書き記した奇跡の人・中村久子女史である。

 昭和12年には、三重苦の奇跡の人世界の聖女ヘレン・ケラーと会見。久子は口と短い腕で作った粗末な日本人形を贈って聖女の感涙を誘い、多くの聴衆に感動を与えた。

○幼くて四肢切断の業に耐え 人と世恨まず感謝と笑みを

 久子は二歳の時、突発性脱疽となり、左手首がぽっきりともげてしまった。その後に右手を手首から、右足はかかとから、左足は膝とかかとの中間から切断されて両手両足を失う。そんな娘を母は甘やかさず、一人で何でも出来るように厳しくしつけた。

 学校に行かせて貰えなくても久子は挫(くじ)けずに、工夫を重ねて日常の生活が出来るようになる迄努力する。顔は両腕で洗いタオルは口と腕で絞る。口に針をくわえ両腕で布を挟んで縫う。箸と茶碗を腕に支えて御飯は食べる。字は口に筆をくわえたりして書く。

 そんな苦労を強いた両親を、久子は恨まず、自立出来るようにさせてくれた事に感謝する。見世物小屋では、口で色紙短冊を書いたり、裁縫や編み物などをしたりして見せた。辛くても客には媚びず笑顔で接し、投げ銭などは受けない誇りと勇気を持ち続けた。

○無いままの姿を曝(さら)し生かさるるままに 命の明り灯して

 久子の結婚生活も波乱の連続だった。3回結婚し3回とも夫と死別。4回目の結婚でようやく家庭は安定し、前夫との間にできていた3人の娘を育てる。長年の巡業天幕生活を終えた後、夫や娘に背負われて久子は、全国各地での講演を死の前まで続け、昭和43年、72歳で永眠―。

 障害を抱え絶望的な境遇であっても、感謝と勇気を持って懸命に生き続けていけば、命の力がこんこんと湧き、魂がじんわりと輝いてくる事を、その人間の素晴らしさを、久子女史は生涯を通して教えてくれたのではないでしょうか。

〈参考本―中村久子「こころの手足」春秋社〉

あなたの健康を支援します。八坂小前「快整体やすらぎ館」tel:042-395-6439

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(栄町3丁目「やすらぎ館」主宰)

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