踏まれても咲く・・・

-暮らしの新聞-2012年5月1日号・第3面 ~俳句随想~(16) 整体師 出田邦博

○花吹雪浴びたる一期一会(いちごいちえ) かな     (成田昭男)

桜は満開になるとすぐに散る。ヒラヒラとひとひら毎に舞い散る。完全燃焼するかのように咲き誇っては潔く散りしく。自然は「花相似たり」で年年に延々と回帰する。

人は「人同じからず」で常に変化し同一の再現はあり得ない。そういう無常の世で、無情を感じながら出逢いと別れを何度も繰り返す。いかなる時でもどんな場でも縁が生じればあらゆる人や物事と関わり合い、その今・このひと時を生かされそして生きる。が、巡り合いは既に別れを含んでいる。別れのない出会いはない。だから一期一会なのだ。

○葉桜の中の無数の空さわぐ       (篠原 梵)

初夏、うす緑の桜若葉がみずみずしい。爽やかな薫風が吹く度に揺れる葉陰に空がチカチカと見え隠れする。若葉と青空は互いを引き立たせて自在な空間を形作る。自然は近くに在る物同士でも遠く離れている事象でも陰に陽に密接に関連し合う。その中でそれぞれの存在が際立ち緊張と秩序が生まれる。人間だけが単独で存在することなど出来ない。その大きな循環の一環としての人間が、調和を保ち意義を見い出し美を発見する。

だから風のそよぎ、桜若葉の揺らぎ、垣間見える碧空に心が微妙に躍りざわめくのだ。

○葉桜や疎遠となりし人あまた    (関 房江)

桜から葉桜の季節は、何故か人が懐かしくなる。薄紅色の花がさみどりの若葉へ、さらに緑から青に紺色へと、日毎に形を変え姿を整えて行く。花々や樹木の移ろいは彩りを添えて優しいが、人と世の変転は激しくて厳しい。

時が経つにしたがって縁遠くなり音信不通となる知人友人は、一人や二人ではない。数多くの邂逅(かいこう)があり、数え切れない人達との別離がある。ままならぬ愛別離苦を悲しみつつ、いとおしみながら人は老いていく。果たして最期まで疎遠にならない人は、どれ程残っていることだろう?

○踏まれても咲く蒲公英の笑顔かな    (良 寛)

タンポポの花と重なって子供の無垢な笑顔が浮かんでくる。踏まれて汚されてもたんぽぽは根を張る。コンクリートの割れ目でも石垣でも息づく。飾られることもない無骨な草花だが、お日様に照らされて黄色の花弁をいっぱいに広げて可憐に咲く様は、ちょうど可愛らしい幼児が微笑んでいるかのようだ。その笑顔に吸い寄せられて蝶たちが飛んで来て花粉を運んでくれる。

花も人も笑顔のあるところに、笑顔が笑顔を呼んで集まり微笑みが広がって夢と幸せがふくらんでいくのでしょう。

あなたの健康を支援します。「気功整体イデタ」tel:042-395-5452

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―市内廻田町「気功整体」主宰―