母恋ふことに・・・

-暮らしの新聞-2012年6月1日号・第3面 ~俳句随想~(17) 整体師 出田邦博

○郭公や一さじ増すや離乳食       (阿部千枝子)

若い母親であろうか、生まれて半年ばかりの赤ん坊にすった果物やつぶした野菜やお粥などを与えている。

「さあもう一匙食べてね。オッパイよりおいしい…そう、うんと食べて大きくなるんよ。そうよ、そう」などと言いながら、丁寧に離乳食を

赤ちゃんの小さな口に入れている。どこかでカッコウーカッコウーと郭公が鳴いている。甲高くリズミカルな声が明るく楽しく響いてくる―。

夏の日のある家庭の子育ての一こまである。日常のささいな出来事、当たり前の母子の触れ合い。そんな家庭の平凡な営みの繰り返しを通して、親子の愛情は育まれて心に深く刻まれていくに違いない。

○万緑や親も口開け離乳食        (鈴木小悟)

外は見渡す限りの草木の若葉の緑が照り映えている。家の中ではスクスクと育っている嬰児が、口元を汚しながら懸命に離乳食を食べている。赤ちゃんにつられたように母親が、口を大きく開け笑顔いっぱいにしてスプーンを運んで食べさせている―。

豊かな自然の中でのこのような微笑ましい光景は、想像するだけで豊かな気分になれる。赤ん坊が泣き叫び笑い食べ、母親父親そして、おじいちゃんやおばあちゃん(昨今、どういう訳か、ジイジ・バアバなどの言い方が流行っているが、私にはどうしてもなじめない)の笑顔や話し声があふれる家庭が全国各地に増えてこそ、初めて安全安心な国家と言えるのではないか。

○母の日や母恋ふことに終りなし   (山崎泰世)

母と何年も会っていなくても、母が病気で寝ていても、既に亡くなっていたとしても、母親を慕う気持ちは五月の第2日曜だけとは限らない。その絶ちがたい思いが人の情愛の原点であり、人間であることの尊い証明かも知れない。

ところが子が母親を殺したり、母が赤子を遺棄したりする肉親間のおぞましい事件が相変わらず起きている。この世に受けた生を全うするのは、今の文明社会でも難しいのだ。

昨年の暮れ、妻の栃木の母親が他界した。九十になる頃までは病気もせずに一人で暮らし、自分のことは自分でやり畑仕事もしていた。ここ数年は床に就くことが多くなり、妻は年に何度か看護のため帰省していた。その日は虫の知らせか親子の絆のゆえか、予定を早めて母のもとに急いだ。

弱り果てて臥せていた母は、娘が帰って来るのを待っていたのだろう、か弱く手を握りしめ、目にうっすらと涙を浮かべ「アリガ・ト…」と途切れがちに三度、小さく呟いた。

その翌日、義母は九十六歳で召された。大往生でした!

あなたの健康を支援します。「気功整体イデタ」tel:042-395-5452

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―市内廻田町「気功整体」主宰―